夢見る頃を過ぎても―水とH2O
Posted by Shota Maehara : 1月 12, 2008
今私が最も読んでみたいと思っている著者にフランス人のガストン・バシュラールという人がいます。
彼は、科学者という立場からイメージや想像力というあいまいなものを批判する立場にありながら、「物質」を取り巻くさまざまなイメージに魅せられて、後に詩学者となった人です。
産業社会になる前「水」とは人々にとって神聖で神秘的な物質でした。例えば、飲んだり体を洗ったりするものであるより先に、魂の汚れや記憶を洗い清めてくれる川のイメージでした。それは、今日の単なる「H2O」という化学記号で表された水とは違うのです。
今日環境問題が叫ばれています。それにともなってCO2対策などさまざまな政策がグローバルな規模で確かに必要です。
しかし、環境問題の真の原因は、「水」を「H2O」としか見れなくなった私たち自身の体験や感性にこそ潜んでいるのではないでしょうか。
私は通勤の道に沿って流れる地元の古利根川を眺めるとき自分が一番リラックスしていると感じます。鳥の鳴き声がしたり、サラサラというかすかな水音を聞きながら子どもの頃を思い出したりします。
このとき中世以前の音楽や詩や絵画に描かれた自然とは果たしてこういうものだったのではないかとふと感じてしまうのです。
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