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Shota Maehara's Blog

「レディー・ファースト」のすゝめ―男女同権で女性は幸せを手に入れたのか?

Posted by Shota Maehara : 11月 26, 2007

一九八〇年代以降、日本でも男女同権に基づき、女性の社会進出を推し進めようとする動きがにわかに活発化した。私は当時、女性は男性に差別されていると息巻く幾人かのフェミニストのあまりに男性的な態度に恐れをなしていたことを覚えている。だからずっとフェミニストの主張には懐疑的であった。そして、ある親しい女性の友人と話している折に、この問題の本質をはっきりと掴みえたような気がした。

彼女は芸能活動やモデルなどをしていた経験もある美貌で、独特の感受性によってよく私を驚かした。ある日、大学のキャンパスを二人で歩いていると、彼女はこう言ったのである。

「私、今の男女同権時代なんて嫌い。」

「なぜ?!」

「だって、美人の女の子には、男がチヤホヤしてくれるし、デート代も払ってくれる。それなのに、男女同権になんてなったら、レディー・ファーストって考え方がなくなっちゃうじゃない。」

「ああ、そうか。」

「男女同権ていうのは多分モテない女のひがみだよ、こっちは迷惑なんだよね。」

いつもながら独特な感性から繰り出される社会批評に感心してしまった。そうしながらも、私は平等とは、ときに優れたことを認めるのではなく、逆に平凡なことにみんなが合わせることになりがちなのだと思った。そしてそのとき男性が女性を「尊重する」という考え方も同時になくなってしまうのだ。彼女にはこれが嫌でたまらなかったのだろう。

また言い換えれば、優れた存在を認めない社会とは、弱きもの、劣ったものの存在を認めない社会でもある。それは、ある一定の水準に降りてこないものと達しえないものをともに排除しようとするからである。フーテンでもホームレスでも、およそどんなものにも生きる余地を残しておいてあげることが人間の寛容さだとすれば、誠にぎすぎすした窮屈な社会だと言えよう。

むしろ私は優れている人や才能のある人を応援して、彼らが偉くなったとき、困っている人を助けてあげるようになる社会のほうがいい。世の女性はどう思うのだろうか。男女同権・女性進出の結果、キャリア・ウーマンは自立し、美しく、頼もしくもなった。しかしその一方で、肩に力がはいって、緊張し続ける毎日から癒しや心の支えを求め始めたかのように見える。しかも癒しさえお金を出して買い求めるこの時代。もしかしたら男のほうがちょっぴり楽かなと、男のいい加減さを羨んだりして。

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コメント / トラックバック2件 to “「レディー・ファースト」のすゝめ―男女同権で女性は幸せを手に入れたのか?”

  1. 「平等?んなもんは平等=差別なんだよ。意味分かるか?」 

    とテレビで喝破?した談志師匠。

    不親切な表現だが 彼の地肩を知る人々は、自発的に意味を考えざるを得ない。

    —–

    キャリア・ウーマンは沢山見たが、自然体で過ごしてる人は現在1名しか見た事がないです。

    その彼女さえも、癒し(温泉・マッサージetc…)には強い興味があった。

    これが、女性がそもそも持ち得ている欲求なのか、やはり無意識に感じていた緊張なのか、今となっては知る由も無いが、

    前者であって欲しいと思った今日この頃です^^


    メルアドがテキトーだと、本人確認ができない罠 に気付いたんで、捨てアドながら作ってみました。

  2. akizukiseijin said

    dbadminさん、コメントありがとうございます。談志師匠が、「平等=差別」と言っていましたか…。やはり、師匠のような才人は、直覚が鋭い。

    ニーチェがはっきり述べているように、「平等主義」の根源にあるのは、他人に対する「嫉み」(ルサンチマン)です。平たく言えば、弱者が強者を嫉妬して、おまえも平等になれと要求するものです。組織の中にいれば他人の嫉みはいつも感じていることです。

    政治制度としての民主主義はこのルサンチマンを超えられない。なぜなら人には平等になりたいという願望とともに優越したいという願望があるからです。

    私はニーチェ―≒ナチズム以外の方法で、この問題を解決する術をいつも模索しています。

    P.S.

    いわゆる新しい女=キャリアウーマンは、女性を虐げる男の権力社会を批判したのに、結局男と同じ権力社会の一員に収まった。つまり、被支配層から支配者に移行しただけで、支配構造は変わらない。ここに80年代フェミニズムの一つの限界があったと思います。

    それでも本当に女性たちは強く美しくなったと思う。ただ私は、彼女らが不意に弱音や不安もらしたときそれを癒してあげられるだろうかと弱い自分に問うているだけなのです。

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