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Shota Maehara's Blog

資本主義における「世俗内的禁欲」―立身出世主義とプラトニックな恋愛観

Posted by Shota Maehara : 11月 2, 2007

(1)労働観―立身出世主義

先ほど述べたように、ウェーバーは産業資本主義を推進させたものは、利益や欲望でなく、「世俗内的禁欲」にあることを強調しました。近代(産業)資本主義をもたらす、勤勉な労働倫理を用意した、と彼は考えた。そして、それをもたらしたのは、プロテスタンティズム(キリスト教)であるといったのです。しかし、それなら日本の場合はどうなるのか。プロテスタンティズムでなければならないということはない。「世俗内的な禁欲」というのは、欲望の遅延ということです。要するに、それが大事なことなのです。

もちろん、明治日本においても、キリスト教(プロテスタント)の影響はすくなくありません。実際、北村透谷、国木田独歩をはじめ、多くの作家がキリスト教を経由しています。しかし、その前に日本人全般を動かし、勤勉で禁欲的な生活をもたらしたものがあります。そこから考えないといけない。それは立身出世主義です。これは学制改革と徴兵制という明治初期の政策の根底にある理念です。そもそもいわゆる五ヶ条の誓文にも、それがうたわれていた。そして、それに呼応するように、福沢諭吉の『学問のすすめ』やS・スマイルズ(中村正直訳)の『西国立志編』が出版され、ベストセラーになりました。

立身出世主義は、近代日本人の精神的な原動力ですね。封建時代の身分制を否定する思想は、さまざまにあります。しかし、人間は平等だといっても口先だけのことです。現実的な平等からは程遠い、明治で何が変わったかというと、明治以後の日本では、学歴によって新たな階位を決めるシステムになったということです。徳川時代でも身分を越えるモビリティは案外あったのですが、明治以降それが全面化したということです。だから、日本人の多くが、子も親も、立身出世のために必死になって、勤勉に働くということになった。これが受験競争として近年までずっと続いてきました。このことを無視すると日本の近代を理解することはできません。

                            (中略)

私は、明治以後の日本人に勤勉や禁欲というエートスをもたらしたのは、立身出世主義だと思います。リースマンの言葉でいえば、立身出世は伝統指向ではない。それは親のあとを継げ、という身分制を否定するものです。しかし、それは内部指向でなく、他人指向ですね。他人の承認をかちえたいという欲望に駆られているからです。近代的な自己というのは、伝統や他人を超えて自律的な何かを求めることです。現実にはそれは難しい。だから、それをキリスト教に、というより、窮極的に「文学」に見出したのです。―柄谷行人『近代文学の終わり』(インスクリプト、二〇〇五年、p.69-72)

(2)性愛観―処女性・プラトニックな恋愛

世俗内的禁欲ということが端的にあらわれるのは、労働ではなく、やはり性愛です。江戸時代でも、商人は禁欲的でした。しかし、長年かかって金を蓄えると、何をするか。女道楽しかない。尾崎紅葉がそういうことを小説に書いています。その紅葉の『伽羅枕』という小説を痛烈に批判したのが、北村透谷です。彼は紅葉の描くような世界を「粋」と呼んで批判しました。それは封建社会の遊郭に生まれた、平民的なニヒリズムである、と。彼はそれに対して恋愛を持ってきた「厭世詩家と女性」では、「想世界と実世界との争戦より想世界の敗将をして立てこもらしめる牙城となるのは、即ち恋愛なり」というふうに、あるいは「恋愛はひとたび我を犠牲にすると同時に我れなる『己れ』を写し出す明鏡なり」というふうに、恋愛は、画期的な意義をもつものとして考えられた。

                            (中略)

その点でいえば、透谷のいう恋愛は、けっしてそのつもりで説かれたのではないけれども、実は、産業資本主義に不可欠なエートスに合致したのです。すなわち、世俗内的禁欲です。すぐに欲求を満たすのではなく、遅延させる。あるいは、欲求を満たす権利を蓄積する。それが産業資本主義の「精神」なのです。

                            (中略)

しかし、紅葉が明治三〇年代に書いていたときは、そうではなかった。そもそも処女性とかプラトニックな恋愛がいわれるようになったのは、明治二〇年代からで、それを積極的に唱導した一人が透谷です。しかし、大衆のレベルではそうではなかった。農村部ではいうまでもないことです。夜這いというような慣習は、戦後にまでかなり残っていました。都市においても同様です。処女性など問題にされていなかった。ただ、都市部が農村部と異なるのは、セックスを金銭的にみる見方があった、つまり、自分を商品として見る意識があったということです。露骨にいえば、「ただでやらせるのはもったいない」ということです。当然ですが、彼らは遊郭で働くこともさほど気にしていなかった。武士の家庭は例外です。そこでは儒教道徳が浸透していたから。明治以後は、そのような道徳が、近代的な道徳意識と混じって、全階層に徐々に浸透していった。―柄谷行人『近代文学の終わり』(インスクリプト、二〇〇五年、p.73-7)

[関連]

前田愛「明治立身出世主義の系譜―『西国立志編』から『帰省』まで」(『近代読者の成立』所収、岩波現代文庫)

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