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Shota Maehara's Blog

仏教とアソシエーションについての雑感

Posted by Shota Maehara : 10月 27, 2007

jizouin01大衆民主主義社会の到来とは、旧来の知識人層の消滅を意味している。もう少し具体的にいえば、これまで思想や哲学や文学を通して、人々を啓蒙してきた人文主義的なオピニオンリーダーたちがいくなることである。ここ日本でも、60年代にそれまで一部の独占物であった大学や教養が大衆化・一般化し、誰でも新書や文庫を通して教養に触れられるようになった。しかし、誰でもが一定の教養があるかのように振舞える結果、人々は教養そのものを玩具と見なした挙句、今日それに対する興味関心を放棄してしまったように見える。

すべてが平等と見なされる社会において、貴族、政治家、学者も血筋や家柄から出てきたのではなく、自分たちと同じスタートラインから生まれて来た同じ穴のむじなに過ぎないと考え、心の底では軽蔑すらしているのかもしれない。つまり一言で言えば、知識人の「アウラ」(オーラ)の消滅こそが現代のもっとも危険な兆候なのである。「アウラ」(オーラ)の消滅とは、ベンヤミンが述べたように、旧来の仏塔の奥にしまわれた仏像の精神的権威がその唯一性にあったのに対して、複製芸術の時代にはあらゆる芸術が複製可能になり、かつてあった宗教性、聖なる神秘性が失われていく現象を指している。

私は、教養が一般化しても、大学が全入時代を迎えても、本当に学問をしたい人の数はいつの時代も一定であると考えている。だから、現在叫ばれている教養や人文書の危機は必ずどこかでボトムラインに突き当たるだろう。ただし、一定数の学問人を取り巻いていた教養に憧れる人たちの層が贅肉が削げ落ちるようになくなることが社会にいかなる影響をもたらすのだろうか。

民主主義において市民の間での言論・議論・対話の公的空間は命とも言えるものだ。だが、今あるのはメディアがもたらす情報に対しての住民間での水平的だがセンセーショナルな議論か、国家からもたらされる情報に対して受身で答える垂直的な議論しかない。ここには、斜めからメスを入れる知識人の言論が欠落している。モンテスキューやトクヴィルを引くまでもなく、本来、国家―知識人(市民社会)―世論の三者間の「バランス・オブ・パワー」(勢力均衡)以外に民主主義社会を安定させる手立てはない。

ただその点で、大学や民間のシンポジウムで話すような専門的な研究者や学者とは異なる「知識人」が市井に散在し孤立してしまっている現状がある。このことが言論一般の影響力を失わせ、人々をコミュニケーションによる社会的解決よりも、暴力的衝動に向かわせる要因になっているのではないか。その意味で、暴力の時代とは、まさに失語症の時代に他ならないのである。

こう考えたとき、私はふと、法然や親鸞や日蓮などの鎌倉仏教のパイオニアがまさにこのような時代と闘っていたことに思い至った。近代以前の中世において、僧侶という階級は、社会の中で唯一の知識層であり、ある部分法の手が及ばない「アジール」と呼ばれる国家権力の及ばない領域を司っていた。しかし、仏教もまた現代の学問と同じように国家や政府と擦り寄ることで腐敗し易い(末法の世)。だからその中から抜け出して仏の教えを民衆に近づけるべく新しい宗教改革者が現れる。後に堺などの自治都市と結びついて一大勢力をなした浄土真宗や京都の法華宗は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下統一の目的のために滅ぼされてしまうのだが。

かくして徳川政権の檀家制度による民衆支配の伝統が続き、仏教は民衆の側に立った社会運動としてよりも、政府の体制擁護の下部機関と成り下がってしまった。確かに、仏教はこれまで東洋哲学の文脈でその精神性が注目されたことはあった。ただその代表である鈴木大拙や西田幾多郎などの京都学派に近い立場で、西欧の近代を批判しつつ、天皇制を擁護するために観念的かつ政治的に利用された。彼らは一様にヘーゲルやフィヒテなどのドイツロマン主義の哲学のレンズを通して、禅の霊性や無の思想のなかに物質と精神の二元論的矛盾を解消する超越性=天皇を見出したのだ。そこでは仏教徒が一人の知識人として貧しい民衆の中に進みいでいて、手を差し伸べていった社会的な側面は最後まで問われない。言い換えれば仏教はファシズムとの関連でのみ語られ、独立した諸個人の社会的なネットワーク、すなわちアソシエーション運動の一種として論じられることは少なかったように思う。

しかし、彼らがその社会改革(布教伝道)の過程でいかに人々を組織し、経済基盤を確保してきたのかという点は現代の知識人の重要なロールモデルとなり得る。近代以前、ヨーロッパにおいても同様に、封建制のもとで権力が多元的に分散し、その隙間を縫うようにして、自治都市、寺院都市が交易の場として発生した。やはり神官階級はこの時代における伝統的な知識人であった。こうした中世の面影を残し、産業革命を経て、近代の知識人が育っていった。したがって彼らの議論や言葉にはいまも超越的な神に対する「倫理感」や「奉仕精神」が離れがたく結びついている。だからこそ市民も彼らに一定の社会的役割を認め、敬意を払ってきたのである。

我々日本人は言論を再生するために単に知的であるのみならず同時に倫理的なものを志向し、言論に使命感を帯びさせねばならない。その源泉を社会は自らの歴史以外の何処に求め得るはずがあるだろうか。

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