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Shota Maehara's Blog

ポストモダン大衆論

Posted by Shota Maehara : 9月 22, 2007

私は、以前から「個人主義」がなぜ日本に根付かないのか、一般化しないのかに関心を持ってきた。確かに日本でも明治初期、夏目漱石、内村鑑三、岡倉天心、福沢諭吉、中江兆民、そして新渡戸稲造など個人主義が花開いた稀な時期があった。彼らを特徴付けるのは、封建と近代の二つの時期を生き、漢語と外国語の教養を持つがゆえに、両者の長所と短所を隈なく知りつつ「国家」や「文明」をグローバルな視点から批判できたという点にある。だが彼らもついに当時の日本社会に受け容れられることはなかった。

例えば日本論の嚆矢といえるルース・ベネディクト『菊と刀』は、欧米の個人主義を「罪の文化」と規定し、対して日本の集団主義を「恥の文化」と規定している。それは彼女の表現では、あまりに状況的、リースマンの表現では「他人指向型」であるといえる。つまり、「恥の文化」とは、評価軸が常に自分の外側の他人や世間にどう思われているかが重要であることを意味する。だから悪くすれば、「旅の恥は掻き捨て」などといわれるように、世間の目が届かない外国でなら何をしても構わないということにもなり得る。

さらに、イギリスやアメリカやインドなど伝統的に「個人主義」が強い国でも、いわゆる高度消費文化の高まりとともに「他人指向型」の大衆の存在が目立つようになってきている。それゆえに、同様に消費社会が成熟した日本では、二重の意味で、「大衆」の存在が政治・経済・文化にどのような影響を与えるかを吟味していかなくてはならない。

ここでまず大衆社会の変遷を簡単に、振り返ってみよう。歴史的に、大衆化には三つの波があった。

1.大正期(1912)~1930年代まで      <旧モダン大衆>

2.第二次大戦後、特に1950~1960年代  <新モダン大衆>

3.1980年代以降(特に石油ショック以後)  <ポストモダン大衆>

ここで最初に注目すべきは、「大衆」がいずれも景気循環の経済的繁栄期に台頭してきているという事実だ。ただし経済的繁栄期に現れる大衆は、社会を安定化させるよりもむしろ不安定化させる。なぜなら、資本制経済において、経済は好況と不況を繰り返すことが運命付けられている。したがって、この時期経済的に満足感を得た多くの層も、次の不況の局面に社会が入ると耐え難い痛みを経験せざるを得ない。こうしてその多くが体制に対する不満層に変わってしまう。

1930年代に世界恐慌や金融恐慌に直面すると、日本でも農村の貧困を病巣にした天皇制軍国主義が台頭し、ドイツでも小商店主や教師たちミドルクラスの生活が窮乏しファシズムに帰結した。1960年代は、比較的恵まれていたが、アメリカのベトナム戦争の泥沼化と、アメリカを中心とする世界金融・経済不安が重なって、1968年には世界規模の学生運動が起こった。

さらに1980年代には、石油危機や変動相場制への移行を境として、世界的な不況に入った。産業構造に急激な転換を各国が迫られることとなった。特に1985年の日米のプラザ合意以降は、日本はこれまでのような円安での輸出が難しくなり、省エネ、ME化、海外へ工場の移転などの対策を行った。いずれも製品のコストを引き下げるためである。こうした過程で、日本の産業界は、バブル崩壊もあって、金融の自由化や大幅なリストラを余儀なくされていく。いわゆる終身雇用制の崩壊である。

だが、この時期に大規模なデモや運動は日本では影を潜めてしまう。私は冒頭に述べた日本の二重の意味での個人主義化を阻む力がこの時期、新たな装いで顕在化したと考えている。ではそこで何が決定的に変わったのか。それは、「ポストモダン」と呼ばれる現象である。現象としてのポストモダンは、デモや運動によって国家や資本を批判するよりも、資本主義(それを支える国家)がもたらす経済的繁栄こそが人々を解放すると信じられ始めたことだ。そこには旧共産主義圏への幻滅があり、資本主義のほうがまだましだと考えるニヒリズムが横たわっている。リオタールはこれを近代を特徴付けた「大きな物語」の終焉と名付けた。

今日「失われた10年」と呼ばれる長期的な不況を経験し、社会の流れは急速に右傾化し始めた。こうした世論や政治家を支えているのは格差社会で痛手をこうむった若い世代に見られるルサンチマン(怨念)である。私は、彼らのことを仮に「ポストモダン大衆」と呼ぶ。これはインターネットの掲示板などでの匿名投稿に示される様に、情報の発信や交換でなく、世間話や野次馬的な関心に向かう、ニーチェやハイデガーが嘆く堕落した「畜群」のような存在である。それはまるで夢のように無数の声がささやきつづける空間である。

こうした状況は、民主主義にとってきわめて危険であり、「多数者の専制」(無政府状態)や「独裁者の専制」(独裁)に対する何の保証もいまの社会には欠けている。このような時代には、逆に社会の動向に敏感になりすぎず、少数派の意見を守るための防波堤として「中間権力」(トクヴィル)を我々は必要としている。

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コメント / トラックバック3件 to “ポストモダン大衆論”

  1. leaves said

    30年代に世界恐慌に見舞われた層が、日本の農村の貧困を病巣にした天皇制軍国主義として台頭してきたというのは、明治から続いた寡頭地主の問題ですね。当時の集団転向というのは、高橋政策のおかげで安堵した人々が政治的態度の変更を行ったように見えます。にもかかわらず、軍備予算を縮小しようとした高橋は青年将校たちに殺されています(二・二六事件)。不況から脱すること(生活の安定)が目的であり、政策はそれの手段だったにもかかわらず、軍国主義化という手段の目的化が行われる。これは本当に「平衡感覚」が失われたこと以外のなにものでもないと思います。また、『大正文化』(南博ら)などを読むと「他人指向型」の大衆という存在がよくわかります。美徳は「この際だから」といって、ぜいたくを慎む傾向にあるのにもかかわらず、消費傾向は留まることを知らない、という分裂的な大衆は「他人指向型」の典型だと思います。それで、ポストモダン的ニヒリズムの人々を「ポストモダン大衆」と呼ぶのは賛成ですが、ふつーに「スキゾ・キッズ」と呼んでも、充分感じ悪いと思いますけどね。しかし、andromeda27さんの孤軍奮闘ぶりを見ると、私は「個人主義」に耐えられない「弱者」だなぁ、なんて思うことが多々あります。と、同時に希望の光を分け与えてもらっているような心持ちにもなります。断片的な時間を組み合わせての感想なので、バラバラな感想で申し訳ないです。そうそう、『夜間飛行』を久方ぶりに読み返しました。単なる冒険的ロマンチシズムと片付けられない部分がたくさんありますね。また、気軽に読めるお勧めがあれば、教えてください。ではでh

  2. leavesさん。コメントありがとう。封建社会は、もともと「身分制社会」でしたから、社会の名に不公平感はない。まして支配する側から支配される側への「ノーブレス・オブリージュ」と呼ばれる道徳的義務があった。いまの民主主義社会では、建前では平等をうたっている。しかし、ここに難しい問題がある。まず機会の平等をうたっても社会は競争以前に経済力や家柄の差があるといわれる。これが権力者に道徳的義務の放棄を許すだけに終わり、民衆にはエリート層へのルサンチマン(怨念)だけが残る。次に、身分でなく、能力によって格差ができた社会では、弱者はプライドを傷つけられ、ルサンチマンは幾何級数的に高まるということです。ましてや彼らに同情は禁物です。弱者に対する同情は何物にも変えがたい屈辱だからです。たとえば身体障害のある方が健常者に対して同情はしないで欲しいと仰います。そうでなく普通の人として自分を扱って欲しいと。これは自分の経験してきた人間関係に置き換えてもいえるでしょう。だからイギリスでも産業革命で貧窮した人を収容する救貧院などには誰も入りたがらず、今日でも再チャレンジ委員会は根本的に反発を買うだけでしょう。では誰かに哀れみをかけないで救いの手を差し伸べることは不可能なのでしょうか。おそらく「愛」によってなら可能でしょう。私の好きな言葉に次のようなものがあります。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」(コロサイ 3:23)結局人類は人間を殺人や戦争へと向かわせる攻撃性をいかに抑えるかを考えてきたのかもしれませんね。私もこうした宗教の言葉に敬意を抱いていますが、カントやフロイトがそうしたように自己を啓蒙する「理性」の力によって徹底的に問い詰めていくことの方が何より肝心なことだと思っています。

  3. leavesさんへ。続きです。そんなに自分を卑下する必要はないですよ。私にはleavesさんの「活動力」(vita activa)をとても頼もしく感じます。やるべきことはまだまだたくさんあります。世間と同じように今の時代が不遇なのを嘆いてばかりもいられないでしょう。これは自分を成長させるための試練だと思わなければ。そこから何か創造的なものがか生まれてくるはずです。これからも一緒に頑張りましょう。

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