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Shota Maehara's Blog

ベネディクト・アンダーソン『グローバリゼーションを語る』を読む

Posted by Shota Maehara : 8月 26, 2007

ベネディクト・アンダーソンは、アメリカのナショナリズム研究の権威として知られる。主著『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』では、ナショナリズムを人々の意識が織り成す一つの文化現象、「想像の共同体」と捉え多くの人々に批判と賞賛を巻き起こした。

彼は、講壇マルクス主義者として、この近代の文化現象は、新聞や小説という出版資本主義の誕生と深く結びついていると考える。つまり、「国民」とは、ある一定の政治的空間の中で、人々が同時に新聞や小説に描かれた人物にシンパシーを感じることによって生まれる。顔の見えない場所で今自分と同じように考え、悩み、行動している人がいる。このこと気づくとき、そこに「国民」という意識が生まれる。

今年5月に早稲田大学での講演を基に解説を加えて出版された『グローバリゼーションを語る』を読んだ。幾つかのブログでも好意的に評価されている。現在、彼はナショナリズムという現象を広くグローバリゼーションのなかで捉え直しているという。その際彼が注目するのは19世紀帝国主義時代のアジアの反植民地主義的なナショナリストやアナーキストの水平的なネットワークの広がりである。教授が明らかに、現在の世界各地で広がるテロリズムの再燃とのアナロジーで論を進めているのが伺える。

しかし、論としては立派でも、ここには現在のナショナリズムを突き動かしている本質的な要素が隠蔽されている。すなわち、「貧困」の問題である。ナショナリズムが本来どういうものなのかを語ることは難しい。そもそも「本来」などと言えるのかどうかすら。

ただ間違いなく言えることは、グローバリゼーション下の現在のナショナリズムは、資本の移動、移民、それによる労働不安、格差問題という国内の人々の苦悩や苛立ちを国外に責任転嫁する捌け口として再利用されているということだ。テロや宗教は、その現象面であって決してその物自体ではない。つまりナショナリズムは経済問題なのである。これを解決しようとせず、ただの抽象的な研究では本質的な理解に至れないだろう。何が人々をこんなにも突き動かしているのか、ということに。

宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨に対する抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。―――カール・マルクス 『ヘーゲル法哲学批判序説』

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