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Shota Maehara's Blog

 ネット言論における秩序形成―ハイエクとマルクス

Posted by Shota Maehara : 8月 17, 2007

A・F・ハイエクは、社会全体を透過し且つ設計できるかのように思う思考を、建築主義と呼び、その祖をマルクスやデカルトに見出している。だが、これはきわめて通俗的な単純化である。ハイエクが建築主義に対して立てるのは、spontaneous order(自生的秩序)である。しかし、これはマルクスがいう自然成長性と類似するものである。マルクスは、ヘーゲル主義的な思考に対して、この「自然成長性」の概念を対置したのだ。

注目すべきことは、マルクスが神学的な意味合いのあるSpontaneitatという語を避けて、意図的にNaturwuchsighkeitという語を用いたことである。この差異は英訳によって見失われる。前者には、各人のspontaneousな意志が神の恩寵によって予定調和的なorderに帰結するという意味合いがある。ハイエクがいう自生的秩序spontaneous orderには、もっと露骨に、市場経済では「神の見えざる手」が働いているというアダム・スミスの考えが横たわっている。したがって、ハイエクはspontaneous orderを、のちに、自己組織的システムといいかえている。

しかし、自己組織的システムは、結局システムであり、なお高みから見下ろすことができるものである。マルクスと同時代のアナーキストも、spontaneityを重視したが、そのことは、フーリエやプルードンがそうであるように、ユートピア的社会を「設計」することと矛盾しない。そこに、古典経済学あるいは古典的自由主義と共通した神学deismがひそんでいる。つまり、建築主義と自生的秩序という考え方は対立しあうように見えて、同一の前提に立っている。

それに対して、マルクスが自然成長性という概念によって見ようとしたのは、いわば、自生的秩序と建築的秩序の二項対立の基底に存する分裂生成である。こうした分裂生成は、計画的な組織によって管理できないが、同時に、自生的なものをたえず解体してしまうものでもある。マルクスは資本主義的市場経済に反対したが、同時にそれを国家的に管理することにも反対したのである。彼にとって、コミュニズムは市場に依拠しなければならず、且つ市場に依拠してはならないというアンチノミーの上に見出されなければならない。(柄谷行人「分裂生成」における脚注)

参考:1.池田信夫「自生的秩序」(『ウェブは資本主義を超える』所収)

   2.柄谷行人「分裂生成」(『隠喩としての建築』定本柄谷行人集2巻)

   3.アダム・スミス『国富論』(岩波他)

   4.カール・マルクス『資本論』(岩波他)

   5.ライプニッツ『形而上学序説』、『単子論』(河出、中公他)

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コメント / トラックバック2件 to “ ネット言論における秩序形成―ハイエクとマルクス”

  1. スポンタ中村 said

    わたしをして、スポンタと名乗らせている必然には、そんなことがあったのですね。周辺状況を勉強して、あなたの文章を深く理解したいと思いました。ありがとうございました。

  2. こちらこそいろいろ学ばせていただいています。またお越しください。ありがとうございます。

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