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Shota Maehara's Blog

アジア・デモクラシーのゆくえ 第1部 韓国の民主化

Posted by Shota Maehara : 8月 16, 2007

アジアに再び政治の春が到来しようとしている。その震源地は、韓国である。韓国は日本の植民地支配から開放された後、南北分断、朝鮮戦争、軍事政権による独裁など激動の時代を経験してきた。それでも近年民主化を求める要求は韓国政治を強く突き動かしている。

いうまでもなく韓国の民主主義はまだ若い。一九四八年にアメリカ型の大統領制が導入されたものの、その後も軍によるクーデターが繰り返されてきた。国内には日本の植民地体制化で形成された歪んだ歴史観また政治経済の構造が根を張り、冷戦下で掲げられた親米・反共というイデオロギーも負の遺産となってきた。何よりこれらの難題は保守的な政治・言論権力の癒着と相俟って久しく韓国の民主化を阻んできたのである。

ゆえに、韓国の民主化はこうした歪んだ政治・言論構造を支配する既成権力を打破することへ向けられた。もちろんその道のりは決して平坦なものではない。市民は「ソウルの春」、「光州事件」などの血腥い政治的挫折を味合わねばならなかった。

しかし、軍部による独裁もやがては韓国の民主化の波に抗うことができなくなる。その意味で一九八七年六月の民主化闘争は人々の記憶に強く刻まれることになった出来事である。確かにこの運動は結局民主派の金大中ではなく、新軍部の盧泰愚の当選を許すことに終わった。その背景には湖南地方などの特定地域への差別がいまだに払拭されていなかったことが挙げられる。それでも人々の民主化を求める声は止むことはなく、ついに一九九八年二月に金大中は第一五代大統領に就任することとなる。

さらにその流れを推し進めて登場したのが二〇〇三年の盧武鉉(ノムヒョン)政権の誕生である。それまでの韓国政治を特徴づけていたのは、主に次の二点であった。まず中央の政治家が基盤を持つ特定の地域に利益を誘導する地域主義であり、さらにその土壌で生まれた政・経・言論界における保守派の癒着構造である。したがって、盧武鉉政権の第一の課題は、この腐敗した地域密着型の派閥政治から緩やかな中央集権体制へ民主的に移行することであったといえる。

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