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Shota Maehara's Blog

『世界共和国へ』(第2部) 【著】柄谷行人

Posted by Shota Maehara : 8月 12, 2007

世界史をみると、こうした国家は近代西欧に生まれた固有の統治形態とはいえない。なぜなら古代の中国やエジプトにおける「世界帝国」は、灌漑・治水事業の必要から膨大な官僚機構と軍隊機構を備えた中央集権国家を早くも完成させていた。西欧の封建制はこの文明の周縁に例外的に発生し、ようやく絶対王政期にこうしたアジアに倣って国家を創り上げたのである。

逆説的にも、この遅れがその後の発展をもたらすことになる。絶対主義国家は、まず台頭する資本勢力と結び付き、国内の市場と産業を育てる。さらにかつての都市や農村共同体における相互扶助によって生まれた帰属感や連帯意識をネーション(国民)という形で一つにまとめあげる。これによって一九世紀に西欧で完成したのが近代国民国家(ネーション・ステート)なのである。こうして完成した国家や戦争は経済競争によって絶えず自己を拡張することを運命づけられている。

著者はこの近代国民国家を「資本=ネーション=国家」が三位一体となった接合体と呼ぶ。その上で、それぞれが基づく「交換」原理を次のように整理している。まず資本制における「商品交換」(貨幣と商品)、次にネーションにおける「互酬」(贈与と返礼)、そして国家における「再配分」(略取と再分配)である。グローバルに拡がる戦争や経済格差や環境破壊は、単に資本や国家がもたらすのではない。それはこの「資本=ネーション=国家」の三位一体の構造がもたらす慢性的欠陥なのである。ゆえに、これらを乗り超える可能性として第四の交換「アソシエーション」(自由の相互性)が提唱される。

これはカントがいう「他人を手段としてのみでなく目的として扱う」社会の実現を指している。例えばかつての自治都市の職人たちのアソシエーションを挙げることができる。彼らは組合や教会を後ろ盾として、個人の自由を尊重し市場を重視しながらも、相互扶助的な関係を築いてきた。それは権力や貧富の差を生み出さない水平的なネットワークであり、諸個人を抑圧する国家の垂直的なネットワークとは対照的である。実はこれは国家の中央集権化に抗する封建システムのもつ権力分散型の機能の一環であった。ここにデモクラシーや地方自治の起源がある。

したがって、従来の国家が格差を是正する「配分的正義」はあくまで弥縫策にすぎない。むしろ格差そのものを生み出さない「交換的正義」の実現をめざす市民のアソシエーションが必要である。しかも一地域、一国ではなく、グローバルなアソシエーションの連合でなくてはならない。

そこで、本書においてあらためて注目されるのが冒頭に述べたカントの「世界共和国」の理念である。カントは人間の善意や理性ではなく、戦争などの反社会的社会性(敵対性)をより根源的なものと見なした。その上で、人類は戦争の惨禍から国家の主権を国連に委譲し、世界共和国への道を選ばざるをえなくなると考えた。著者は、こうしたグローバルな国連の力が国家を抑制し、従来の各国のアソシエーション運動が分断を免れた時、「資本=ネーション=国家」の構造は揚棄されると結論している。

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