I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

『世界共和国へ』(第1部) 【著】柄谷行人

Posted by Shota Maehara : 8月 12, 2007

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

■人間の攻撃性から世界共和国へ至る道

本書の表題は、カントの『永遠平和のために』から採られている。当時ヨーロッパはナポレオンによる大きな戦争が起こることを予感していた。この状況下で、彼の仕事は世界共和国の構想へと向けられた。ここには彼の平和論を見直す上で重要なヒントが隠されている。なぜならば、カントは現実的な戦争を見据えた上で、戦後の再建に世界平和の実現への望みを賭けていたからである。このことは本書を読み解く上でも重要な鍵となる。人間や社会にとって戦争は不可避的である。ならばそれを乗り超える新たな「交換」の仕組みを次の世代に向けて築いていかなくてはならない。

私たちの社会はまさしく複数の交換によって成り立っている。これが本書の出発点である。ここから資本やネーションや国家をそれぞれの交換原理によって読み解いていく。まず古代の未開社会では人々は共同体の中で暮らしている。この共同体では人々は互いに物や人を与え受け取るという「互酬」的交換によって結び付いている。そして次第に共同体と共同体が出会う〈間〉で交易が発生する。これは物々交換ではなく、貨幣を介した「商品交換」である。同様に、国家もまたやがて二つの共同体の〈間〉から発生するということができる。

これは憲法と国民のジレンマを考えてみるとわかりやすい。憲法に拘束力を与えたのは国民の同意であるが、そもそも国民を保証しているのは憲法である。このジレンマは、二つの共同体を前提とすることでしか解決されない。つまり、一方の征服した共同体の統治権は、他方の征服された共同体の生存を保障することを条件に同意される。この保護と服従の契約=交換によってはじめて国家が成立するのである。

しかし、当然のことながら国家は一方的な「暴力」によって永続的に統治することはできない。それは必ず人民の反抗を生むからである。だから税などの徴収された余剰は、いったん官僚機構によって公共事業(インフラ)へと廻される。こうして国家は中立であるという「権威」を確立できるのである。国家は余剰を収奪し続けるためには見返りに一部を人民に役立てなくてはならない。これが国家における「再配分」の原理である。

広告

コメント / トラックバック7件 to “『世界共和国へ』(第1部) 【著】柄谷行人”

  1. スポンタ中村 said

    どうも、コメントありがとうございます。http://sponta.iza.ne.jp/blog/では、ヴォルテールの言葉で〆ています。ま、イザの副編集長氏から総会屋対策のようなことをされた結果、イザから撤退したときの最後っ屁って感じです。*相手としては、無名なブロガーのスポンタから何を言われたって、気にはならないだろうけど、ヴォルテールの言ったことなら、すこしは気に留めるかもしれぬ…。などという権威主義ですね。ま、固有名詞を付属しないと価値がないテキストには価値がない。ゴシップである。と言明しているんだけど、俗物には、そのような書き方しかできぬ。私も感情の人でもあるわけで、反省しなければなりません。☆あなたとは、言論のボキャブラリーが似ていますね。グールドはその典型かな…。だとすれば、映画監督のロベール・ブレッソンや、ターミナルケアのエリザベス・キューブラロスなども興味があるのかしらん。お互いの知識歴を比べあうのではなく、お互いの気づきを生んで行きたいですよね。今回のあなたとの対話で、三島とグールドが対照的に把握することができた。それってすばらしいことですよね。Posted by at 2007年08月14日 08:30(スポンタ通信2.2より転載)

  2. スポンタ中村 said

    最近の私は、アンリ・カルチェ・ブレッソンの写真を見に行ったのも、そうなんだけど、現代の古典を探している感じがします。それも、まだ古典になっていないものを古典とさせる。そんな興味があるのかもしれません。世田谷区の図書館で、太陽にほえろのサウンドトラックを借りてきたり、ELPのライブ、アースウインド&ファイアーのセプテンバー、そして、のだめで魅力を再発見したベートーベンの第七番交響曲を聴く。そんな感じ…。なぜ、そんなことをしているかといえば、中学1年の娘にとっては、それらがすでに古典・スタンダードなのであって、そういう古典的なもの、真髄なるものを彼女に芸術の背骨として感じて欲しい。サブカルチャーやカウンターカルチャーでしかないものを、世界の中心だと勘違いするような人間にはなって欲しくないのです。もちろん、どこまで行っても、自分はサブカルチャーに過ぎぬという身だしなみを身に着けて…。Posted by at 2007年08月13日 08:23柄谷さんの本の書評を読みました。柄谷さんの本を読んでいませんが、きっと、インターネットが登場する前に書かれた本なのでしょうね。そして、その本で引用されているカントもフロイトもナポレオンもインターネットを知るはずもない。*2007年、インターネットで起きていることは、匿名言論を行なうことにより、個がリアル属性から逃れられる。匿名言論を行なうことによって、個と言論の1対1の関係に縛られないことです。これより起こることは、個の心理的葛藤が可視化されること。つまり、個の心理的葛藤が、集団・コミュニティー・社会・世界の心理的葛藤・議論になることです。いままで、個はひとりの個でしかなかったから、ひとつの結論を出さなければならなかった。だが、インターネットでは複数になりすますことによって、複数の結論を提出することができる。これにより、発信された言論が内的真実に近いものになる。そして、それらの個の言論たちがやってくる集団・コミュニティーも、同じような状況になる。そして、そのような混沌たる集団・コミュニティー・社会も母集団(世界)に対して、同じ構造になる。つまり、大日本帝国の国連代表が松岡洋右一人であったから、太平洋戦争は始まったのであり、そこにリファレンスとして、山本五十六氏の言論も提出されていたならば、その後の戦争は起こらなかったのではないか…。☆西洋の近代文明は、理性という葛藤を個の外に押し出すことによって始まった。しかし、そういう葛藤も弁証法的な合理性に強いられて、ひとつの結論に収斂したがる。だが、そこには妥当性はない。考え続けろ。という近代的理性の最大使命は、結論を出すな。ひとつの言論に収斂するな。との意味でもある。*現実とは多様なものであり、現実をひとつの言葉・認識が形容できるはずもない。そして、個にとってもそうだ。*そして、2007年…。匿名言論や個の複数発信が21世紀の今後を決定すべき概念だと多くの人が知ってしまえば、フランス啓蒙時代から紡がれてきたすべての言論行動が覆される。それは既存メディアも、アカデミズムも、ビジネスも、2007年の世の中のすべてフェイズにおいて大転換が起こる…。その結果、すべての価値観が崩壊し、真実の価値観に寄り添ったヒエラルキーが再構成される。芥川賞作家は元芥川賞作家でしかない。行列が出来ているラーメン屋は過去の評判を実証しているだけで、その日つくられるラーメンが美味しいかどうかを保証しない。そのことがあからさまになるのがインターネットの時代なのです。*Critical Horizonさんがカントを語る日本人の書籍が気になるように、私は、ロベスピエールが気になる。Posted by at 2007年08月13日 09:00(スポンタ通信2.2より転載)

  3. スポンタ中村 said

    2007年08月13日(スポンタ通信2.2より転載)アルゴの時代73:インターネットによってパラダイムシフトを迎えている日本社会。Critical Horizonさんに触発されて、以下の文章をしたためた。2007年のインターネット。2007以降の日本をまとめているので、お読みいだだけると嬉しい。2007年、インターネットで起きていることは、匿名言論を行なうことにより、個がリアル属性から逃れられる。匿名言論を行なうことによって、個と言論の1対1の関係に縛られないことです。これより起こることは、個の心理的葛藤が可視化されること。つまり、個の心理的葛藤が、集団・コミュニティー・社会・世界の心理的葛藤・議論になることです。いままで、個はひとりの個でしかなかったから、ひとつの結論を出さなければならなかった。だが、インターネットでは複数になりすますことによって、複数の結論を提出することができる。これにより、発信された言論が内的真実に近いものになる。そして、それらの個の言論たちがやってくる集団・コミュニティーも、同じような状況になる。そして、そのような混沌たる集団・コミュニティー・社会も母集団(世界)に対して、同じ構造になる。つまり、大日本帝国の国連代表が松岡洋右一人であったから、太平洋戦争は始まったのであり、そこにリファレンスとして、山本五十六氏の言論も提出されていたならば、その後の戦争は起こらなかったのではないか…。☆西洋の近代文明は、理性という葛藤を個の外に押し出すことによって始まった。しかし、そういう葛藤も弁証法的な合理性に強いられて、ひとつの結論に収斂したがる。だが、そこには妥当性はない。考え続けろ。という近代的理性の最大使命は、結論を出すな。ひとつの言論に収斂するな。との意味でもある。*現実とは多様なものであり、現実をひとつの言葉・認識が形容できるはずもない。そして、個にとってもそうだ。*そして、2007年…。匿名言論や個の複数発信が21世紀の今後を決定すべき概念だと多くの人が知ってしまえば、フランス啓蒙時代から紡がれてきたすべての言論行動が覆される。それは既存メディアも、アカデミズムも、ビジネスも、2007年の世の中のすべてフェイズにおいて大転換が起こる…。その結果、すべての価値観が崩壊し、真実の価値観に寄り添ったヒエラルキーが再構成される。芥川賞作家は元芥川賞作家でしかない。行列が出来ているラーメン屋は過去の評判を実証しているだけで、その日つくられるラーメンが美味しいかどうかを保証しない。そのことがあからさまになるのがインターネットの時代なのです。*Critical Horizonさんがカントを語る日本人の書籍が気になるように、私は、ロベスピエールが気になる。日本でいま起きていることは、18世紀後半のドイツ、フランスに遡って考えるべきことなのでしょうね。☆「フラット革命」につき、粘着する価値を見出せずにいるので、その本がトリガーとして、私に何を言論させようとしているかについて、記するに止める。言語化は、発信者のステークホルダーを明確にする。だから、客観性を持ってコンテンツを受け入れて欲しい発信者は、そのジレンマを克服しなければならぬ。*同著には、たびたび「ノイズ」という表現が出てくる。諸氏のネット上の感想を読んでいるが、ノイズという単語を使ったこと自体に対する嫌悪感を表明する人はいないようだ。だが、私には、ノイズという語を使う感覚が理解できぬ。☆三島由紀夫が自決した日、市ヶ谷の防衛庁のバルコニーで演説する三島の声を、集まった自衛官たちのざわめき声が遮った。1970年11月25日の出来事であるから、私は11歳。朝霞第二小学校の小学6年生。だから、そのときの自衛官たちが発したざわめきの中身を知らない。だが、三島は、自衛官たちの声・罵声・怒声をノイズとして処理し、彼岸へと旅立った…。に違いない。*聡明であるとともに、歌舞伎・演劇をたしなみ、茶目っ気があったという三島由紀夫氏が一切の対話を拒絶し、一方的に戦後日本の精神史を総括し、魔界に旅立ったことは示唆的だといえる。三島氏は、学生紛争の真っ只中である東大安田行動で学生たちとの対話を行なったこともあったという。自らの出自と重なる学生たちと対話を望んだにも関わらず、防衛庁の若者たちとの対話を拒んだのは何故なのか。そこにおいて、三島の言論の危うさが見えてくる。その危うさは、文学という芸術の中ではあまりに魅力的であった。だが、それが言論という枠の中に入ると怪しさに変化する。そのことを21世紀の日本人は理解できるだろう。21世紀においても、三島が唱えた「他者のために生きることの美しさ」「本分」「至誠」の思想は理解できる。だが、そのために己を虚しくしてもいいのかといえば、今を生きるすべての大人が、そうではない。間違っている。と、答えるに違いない。そのことは、事件から30年以上経ってから気づくことではなく、事件直後に多くの大人たちが悟っていたことでもある。夏。戦争を思う時期である。私は、母国を思って戦死した人達の思いを哀悼する。だが、いま現在、そのような信念を持って生きている人がいたとするならば、それは間違っていると指摘するだろう。母国を思って生きる。そのことが重要なのであって、母国を思って死ぬことは、悲しい結果でしかない。もし、最期の三島氏との対話が成立していれば、三島氏はそれを気づくことができたかもしれぬ。だが、彼の死を予感していた美輪明宏氏をしても、対話することはできなかった。私はといえば、彼の死後かなり経って、彼が在籍していた劇団と仕事をする時期があった。劇団関係者は、昔三島が文芸部にいたのだと誇らしく言う。とはいえ、私にとって、三島氏は知り合いの知り合いではあったのかもしれぬが、はるか遠い存在である。もし、2007年の今、三島氏がこの世に存在していたら、ネットといかに対峙していたのだろうか…。青春の一時期、三島的才能に憧れた私だが、彼の才能・精神がインターネット的でないことを知り、愕然とする。☆私が2ちゃんねるでバッシングされたとき、電波系であると形容された。それは、言語ではなく、電波。つまり、理解不能な言論を紡ぐとの意味だという。今回、氏が使われるノイズという形容と、電波という形容は極めて近い。電波もチューナーを持ってくれば、音声として聴くことができる。そして、ノイズと思われている成分でもファインチューニングをすれば、音声として聴くことができる。その可能性は否定できず、対応できる周波数や受信機を探す努力を諦めてはならぬ。☆昭和天皇は「雑草という名の草はありません」という明言を残したが、ノイズなどという言葉はそもそも存在しないのである。問題は卑近な草を雑草として切り捨ててしまう心であり、批判言論をノイズとして切り捨ててしまう企みである。☆日本語とは、極めて感情的・恣意性のまみれたボキャブラリーによって成立している。ノイズの一語を持って、切り捨ててしまう企みを、私は浅薄であると思うし、その思想のもとに紡ぎ出された言論に対峙する気分にはどうしてもなれぬ。同様な恣意的・感情的な語彙として、「妄想」というのがある。妄想、物語、解釈、再構成…。実証できぬ世界(不可視なりアル世界)を語るとき、どの語句を使うかは自由である。手元の辞書には、妄想の説明として、「根拠のない想像。多くは病的で内容もよくない」とある。確かにそれは「…系」として、希釈して使われているのかもしれぬが、妄想の語を使う発信者は、形容対象をメンヘラー(メンタルヘルスに支障を生じている人)として扱っていることを意味する。私は発信者をメンヘラ扱いするのは嫌い。他者の言論を、妄想などと断定し、ご丁寧に作図までする人達の意図が図りかねる…。

  4. ☆スポンタ中村様。素晴らしいコメントを頂き、ありがとうございました。さらに、その後に続くインターネット上の言論のお話に移る部分でも、自然に流れるように読むことができました。スポンタさんのテーマと私自身のテーマに共通の重なりがあるのが見て取れます。それは、いかに自分と異質な他者の言論を受け容れるかということですね。文学、特に三島由紀夫などの日本浪漫派の末裔が対話を拒否した種族であることは疑いありません。それは神聖な美や芸術の名の下に、対話を拒み、知性を拒み、沈黙を強制するという近代日本の病理です。これを乗り越えることこそ言論に生きる者の使命です。☆『世界共和国へ』の書評は、私自身の思想的立場の表明でもあります。まだまだ粗雑な所はあるけれど、さまざまな影響から脱して自分の世界を切り開こうとしています。実は、ここには人から言われた個人的なエピソードがあります。それは、アクセルとブレーキの比喩です。自分が何かをやろうとする時、夢中になって突進する。しかし、それでは自分以外見えないから事故にあう。だから、ブレーキを自分が確保せねばならない。つまり、自分を分裂させて、理性的に突っ走る自分と、それを上から見てたしなめるもう一人の自分が必要なのですね。そこはカントはいっていませんが、そのブレーキは多分理性自身からは出てきません。大きな失敗をしたり、挫折したり、戦争の悲惨さを体験したりする中で、経験やキャリアによって身体的に培われるものなのでしょう。☆フランスの啓蒙主義者ヴォルテールは、「言論の自由」について有名な言葉を残していますね。「小生、貴兄の書き物ははなはだ不愉快に存じ候。されど、貴兄がそれを発表する権利を行使しうるよう、全力をあげて尽力を惜しまぬ所存」。不快な他者の意見を認めぬとしても、その存在を受け容れること。これこそが我々の目指す共通の姿ではありませんか?☆この社会に言論の力をもう一度取り戻していきたいと思います。人々が暴力に走るその前に。コメント頂きありがとうございました。感謝を込めて。

  5. 参考:スポンタ通信2.2(スポンタ中村さん)URL http://sponta.seesaa.net/

  6. スポンタ中村 said

    三島は人文的という限界があるが、グールドは神秘までも知性の世界に取り込もうとした。著述業と音楽家の違い…。そんな感じでしょうか。*思えば、佐々木氏と私の違いも、そんなところだと感じているのですが…。偉そうにも…。(^^;)Posted by at 2007年08月16日 11:36(スポンタ通信2.2より転載)

  7. ☆おそらく三島は広義の意味で、「ロマン主義」的ななんです(日本人には多い)。ロマン主義は、歴史的に啓蒙主義への否定として現れた。理性や啓蒙が限界があるという事実から、それらを放棄し、理性より「感情」、意識より「無意識」を重んじる。実は、これすら反転した二元論に過ぎません。重要なのは、理性や啓蒙を放棄することではなく、それらの二元論的限界を乗り越えようとするさらに徹底的した啓蒙主義的態度です。なにより自分自身に対して。 ☆先日NHKスペシャルで東京裁判におけるパール判事の特集をやっていました。パールは戦勝国や敗戦国どちらのイデオロギーに組するわけでもなく、戦後に、戦争や暴力一切をなくし、絶対平和な社会を作り上げるという信念に基づいて膨大な判決文を書き上げました。これが徹底的な啓蒙的態度の一例です。徹底的に物事を追求する態度は国家やイデオロギーを超えてしまう。 ☆こういう強靭な知性を我々も持ちたいものですね。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中