I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

エッセイという思想

Posted by Shota Maehara : 8月 4, 2007

私がエッセイと聴いて思い出すのは、モンテーニュ、パスカル、サイード、ホッファーである。大学での研究から距離をっとって初めて、論文調で訴えることができない時、人はエッセイという形式を選び取るのだと知った。

先に名前を挙げた人たちも、みな市井に生きた知識人である。だが、論証というプロセスを禁じられたエッセイは、何によって己の確からしさを保証するのか。それはフランスのモラリストが教えたように人々が共有する「共通感覚」に照らし合わせることによってであろう。

現代は人間が個々ばらばらになり、昔とは何もかも変わってしまったと人は嘆く。しかし、人間の差異とは本来、同一性があって初めて意味を持ちうる。このことが変わるはずがない。むしろエッセイストのみならず、現代のグローバルなコミュニケーションにおいてこの共通感覚の重要性は、かつてないほど高まってきていると言えるのではないだろうか。

書くと言うことは、見知らぬ他者に、つまり外国人に向けて書くことだ。したがって、私たち日本人は、日本というコンテクスト(文脈)を剥ぎ取ってなお、相手に通じる表現とは何かをそろそろ考え始めなくてはならない。

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コメント / トラックバック4件 to “エッセイという思想”

  1. dbadmin said

    彼女はやや無鉄砲であり(純粋であると言えばそうでもある)めくらめっぽうアプローチし過ぎて、どうやら荒らしに合い、傷付いてしまったようです。最後の日記にそう記してあり、今朝別れの挨拶にいらしてくださりました。しかし私がページに飛んだ時には既に 削除になっていました。寂しい限りです。いずれ復活すると思います。あ・あとコメントを入れてくださる時は、お手数ですが、このページへのURLも入れておいてクダサイ。コメントが多すぎて、若干管理が厳しくなってきました。http://plaza.rakuten.co.jp/andbigup/diary/

  2. dbadminさん。お返事ありがとうございます。misakiは早く元気になって、ブログを再開してくれることを祈ります。せっかくいいものをもっているのですから。このまま止めるのはもったいないですよね。あと、URLの件了解しました。早速今度からは入れるようにしますね。

  3. ニューアンサー said

    こんにちは素晴しいブログですね。これからもちょくちょく見にきます。よろしくお願いします。

    • akizukiseijin said

      ありがとうございます。少しずつ書いていきますのでまた遊びにいらしてくださいね。あなたに祝福がありますように。

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