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‘書評’ カテゴリーのアーカイブ

通俗作家サマセット・モームの謎

投稿者: akizukiseijin : 9月 15, 2008

 

 サマセット・モームは通俗的な作家だというのがもっぱら人口に膾炙した見方である。これは確かだとしても、「通俗」とはいかなる意味であるか、という問いを発したものは少ない。そもそも文化や芸術批評において通俗性という入口で思考が止まってしまっている分析が数多い。
 だが、サマセット・モームの作品の通俗性は、そのストリーテラーの才もさることながら、物語の中に意図的にブラック・ボックスを作り出す手法にあるといえる。いったい彼の作品は完全に解りきるということがなく、必ず物語の中に余白と呼べるような、読者の想像に任せる隙間を巧妙に拵えておく。このブラックボックスが物語の構造を支える架空の一点になっている。
 例えば、彼の代表的短編「雨」は、雨の多い熱帯地方パゴパゴに医師のマクフェイル博士夫妻と宣教師デイヴィッドソンらが乗る船が麻疹患者がでたために停泊するシーンから始まる。この土地に一軒しかない商人の貸室には彼らと一緒に下船した娼婦らしい女トムソンがいた。階下で蓄音器を鳴らしてパーティーをする彼女の淫蕩ぶりに対し、悔い改めろと迫ったデイヴィッドソンは侮辱されて追い返される。
 その後、島の提督へ働きかけ、この女を強制送還させるよう画策する。するととうとう音をあげた女は、泣きながら宣教師に許しを乞う。デイヴィッドソンは悔い改めた女を前にして、神の御業に恍惚となる。そして本当に生まれ変わるためにむしろ女が自ら罰を受け入れるべきと諭す。この土地の雨と罪の自覚のために徐々に精神の均衡を崩していく娼婦トムソンだった。
 しかし、物語は急転直下、宣教師デイヴィッドソンの突然の自殺によって幕を閉じる。その時、マクフェイル博士が目撃したものは、以前と同じ姿を取り戻したトムソンと、彼女の次の嘲りの言葉だった。

「男、男がなんだ。豚だ!けがらわしい豚!みんな同じ穴のむじなだよ、おまえさんたちは。豚!豚!」(中野好夫訳)

 実は、私自身最初にこの短編を読んだとき、結末の真意が完全に掴めなかった。一体娼婦が宣教師を誘惑して一夜を共にしたのか、逆に宣教師が彼女を求めたのか、もしくはたんに彼女が実は悔い改めていないことを悟って宣教師は死を選んだのか。熱帯に降り続く雨はどちらの理性をも狂わさずにはおかなかったともいえる。
 しかし、いずれにせよ著者はこの部分をあえてブラックボックスのままにしたのだという方が正鵠を得ている。なぜならこの謎は作品に不明瞭な死角を残すことで、平板なストーリーに、立体的な奥行きを生み出しているからである。かくしてサマセット・モームはこの手法を駆使することによって、いわゆる時代の中で消えてしまう通俗作家と異なり、時代が変わっても読み継がれる通俗作家という特異な位置を獲得し得たのである。

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「蟹工船」と漂流する日本

投稿者: akizukiseijin : 7月 3, 2008

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

・『蟹工船』ブームに沸く格差社会

日本列島に幽霊船が出没する―蟹工船という幽霊船である。

2008年日本はネットカフェ難民や秋葉原での連続殺傷事件が相次ぎ殺伐とした雰囲気に包まれている。そんな中で、80年前のプロレタリア作品が30万部という異例の売れ行きを見せているという。それは小林多喜二の代表作『蟹工船』である。

蟹工船は、オホーツク海で蟹を捕まえ缶詰めに加工する船のことである。そこで働く出稼ぎ労働者は、極寒の中で長時間の労働と、監督の執拗な虐待に怒り、人間的な待遇を求めて団結し、ストライキに踏み切る。その意味で極めて風刺的な架空小説であり、ヒューマニズムを色濃く漂わせる作品である。

この流行の背後には、つい最近まで中間層に属していた人々が次々に貧困層に落ちていく過程で生み出された不安がある。いわばこの「新貧困層」(ホッファー)は、失った暮らしへの憧憬と戻れない絶望から社会の不安定分子になりやすい。このまま事態を放置すれば、社会の同情を背景にして、大規模なテロや暴力事件が起こる可能性がある。

・「アフリカ的段階」について

最近、批評家の吉本隆明は「文藝春秋」(7月号)に「「蟹工船」と新貧困社会」と題した文章を寄稿している。彼はその中で、日雇いや派遣で働く若者の苦労に一定の共感を示す。その上で、敗戦後の混乱を生き抜いてきた世代として、本当の飢えを知っているのかと疑問を呈する。

だが一方で、彼は人々の連帯を取り戻すために、「アフリカ的段階」なるものを考え直すのがヒントになるのではと述べる。つまり、現代の西欧を中心とした資本主義的段階は、実はこれまで遅れていると思われていたアフリカやおそらく先住民の暮らしにこそ学ぶべきものがある。例えば、資本主義化の波の中でも、生き生きとした共同体が存続し、その結果「人間のモラルや宗教や家族の暮らしがまだ残っている」と指摘する。

確かに現代社会は、個人が孤立したために、他者の幸福への妬みと、他者の痛みへの無関心が満ちている一方で、誰しもがどこか癒しやつながりを求めている。事実、「同世代の若者に、労働者としての何らかの意識、闘争のための古典的な連帯はほとんど存在しない」という読者の嘆きがそれを裏書している。この閉塞感を打開するためには単なる批判ではなく、建設的な批判こそが求められている。

・「コモンズ」(共有財産)の概念

吉本の唱える「アフリカ的段階」なるものをもう少し学問的俎上に載せるなら、それは「コモンズ」(共有財産)の再評価と呼べるだろう。例えば、コモンズとはもともとは村の入会地や川などを指す。入会地は、村人が共同で管理し、そこから薪などを拾ってくることで、燃料に利用することができる。村人は寄り合いで、その資源を平等に配分するよう取り決める。

なぜこの「コモンズ」(共有財産)が重要なのか。なぜならコモンズを守り育てることで人は最低限の生活基盤を確保できるからである。歴史的に、資本主義化の過程とは、こうした地域共同体の共有財をケーキを切り分けるように私有化していく過程であった。その最たるものは土地である。この土地が売買の対象になった時はじめて資本主義が誕生する。マルクスは中世に共有地であった裏山から木材を採って罰せられた近代的裁判の模様を印象深く記している。

私はこの「コモンズ」の概念を拡張して、明確化し、それをデモクラシー(地方分権)の議論と接続すべきであると考える。まずコモンズとして産業化から保護すべきは次の三つの分野である。(1) 教育 (2) 医療 (3) 環境。私がこれらを選んだ理由は二つある。これらがどれも人間の生活の根幹領域であるという点。そして次にこれらがどれも企業の利潤活動に依存させられるべきでなく、やがてはその手を離れてゆくべきであるからだ。

例えば、介護が不足している場合、充実したサービスを提供する企業を求めるが、営利企業であるがゆえに一生介護に依存する人を生み出しかねない。むしろ重要なのは充実したサービスではなく、それがなくても生きられるようにすることである。国家にある程度の補助を受けるとしても、こうした各部門は、地域の事情に通じ、かつ専門的知識を持った市や町の行政やNGO・NPOによって運営されていくことが望ましい。

・次なる社会へ

では日本の次なる社会像はどのように描かれるべきであろうか。私は地域分権化が進み、究極的に小さい行政単位に日本が分割されて、これら教育、医療、環境が人々に無償で提供される社会こそが目指されるべきだと考える。実際、このような例は世界に少なからず存在する。その意味で、スイスやスウェーデンなどの社会民主主義国ばかりでなく、キューバなどの社会主義国が参考になるだろう。

最後に、こうした指摘に対しては多くの批判があり得るだろう。まず、税制をめぐる問題。とりわけ国家官僚の影響力をどうシャットアウトできるか。次に、コモンズである三つの分野の質を持続的に確保できるかという問題。そして何よりも根本的な問題として、人間の持つ攻撃性をいかに抑止しうるかという点は無視できない。なぜなら、人間や共同体の起源にはつねに略奪や征服がある。なかでも、他の共同体との間で紛争や対立は必然的に付き纏う。今後議論を深めていくためにはこれらのことを考えていく必要がある。

ただし詳述はできないが、あえて言えば暴力の発生を相互抑止するメカニズムはデモクラシーの原理のなかにあると確信している。

[付記]

このエッセイを書く上で、多くの先達の議論を参照させていただいた。「コモンズ」(共有財産)の概念には、哲学者のイヴァン・イリイチ、そして経済学者のE・F・シューマッハ、宇沢弘文の諸著作に多くを負っている。とりわけ宇沢弘文氏は「コモンズ」の概念に当たる「社会的共通資本」(Social Common Capital)という考えを提唱し、それを自然環境系、インフラ系、制度系に分類し精緻化させている。変わらぬ敬意と感謝を捧ぐ。

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サイード『知識人とは何か』―「再帰せる野蛮時代」(ヴィーコ)を生きる知識人

投稿者: akizukiseijin : 5月 28, 2008

知��人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

サイードの仕事は、『オリエンタリズム』に示された様に、文学者(知識人)と帝国主義支配の共犯関係を暴くことに向けられた。しかし、後にサイードは「知識人」と言うものを再び肯定的に捉え、自らその役目を引き受けようとする。ここに後期サイードの転回があるといっても言い過ぎではない。

たとえば知識人の代表格でありそれゆえ攻撃の的になるサルトルは文学者であり、「普遍的」な価値があることを主張していた。それに対して、フーコーは「普遍的」知識人という存在を疑い、グラムシを援用しつつ今や生産関係から超越した司祭型の「伝統的知識人」よりも、「有機的知識人」を重視したように見える。それは手に職を持ちつつ、そこから世界がどう見えるかを訴えるような複数のシステムに属している生活者+指導者のことである。工場労働者でありオピニオンリーダーでもある者だけが大衆文化の何たるかを語れる…。

しかし、サイードはこうしたグラムシの知識人像を受け継ぎながらも、なおも「普遍的」価値を追求することにこだわる。それは一見語義矛盾であるが、人間や知識人の終りを宣言したフーコーさえも街頭デモに率先して参加(アンガージュ)したことを思えば奇異ではない。実はサイードの言う知識人とは「批評性」そのものである。つまり一つの価値システムを自明視せず、外からそれを批判する単独者=亡命者。それは聖ヴィクトルの引用―「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力を蓄えた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である」に見事に言い表わされている。

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シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』―根を持たざれば

投稿者: akizukiseijin : 5月 28, 2008

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

激動のファシズムの時代を生きた、フランスのユダヤ人思想家シモーヌ・ヴェーユの生涯の思索と行動は、カントの道徳哲学の次の命題「他人を手段としてだけでなく、同時に目的としても扱え」に表された、他者をいかに「自由」(倫理)の主体として扱えるかというテーマによって貫かれている。それはつまり、全く考えを異にする次元の異なった二つのものがいかにして出会い、結びつきうるかを問題にしている。その過程で例えば、「対話」、「契約」、「交換」などに他者を自由と見做す契機を見いだそうとした。

そして、こうした考えの基に立った、労働を媒介にした個人の自由に立脚した社会主義運動の構想は、当時の右派・左派のどちらの運動の形態とも異質であった。かの地で彼女の思想がほとんど理解されなかったことは、社会主義の前提である自由主義がいかに西洋でも軽視されていたかが窺える。個人の自由を欠いた運動は、必ずや「村」的な構造(権力のピラミッド構造)に帰着する。それは結局社会から弧絶し、互いに慰め合いの共同体になる。それはだからと言って、極めて暴力的組織になる可能性を排除しない。

しかしヴェイユは同時に、仲間集団を作ることの人間の弱さ・醜さを愛を持って理解していた。彼女が晩年故郷喪失者として「根」を持つことを語ったことは、「根」への希求と不可能性を同時に味わった者の言葉として読まれるべきではないだろうか。

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アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』

投稿者: akizukiseijin : 5月 28, 2008

啓蒙の弁証法―哲��的��想 (岩波文庫 青 692-1)

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫 青 692-1)

何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の野蛮状態へ落ち込んでいくのか―『啓蒙の弁証法』序文

人は誰しも自分の価値観や基準にしたがって世界を把握したり、 国を治めたりしようとする。そこから人は自分の立場だけは不偏不党で中立だと見なしたがる。それゆえに自ずとその基準からもれる人や価値を誤謬だと判断し、非難してしまう。

伝統的に西洋哲学はこの「同一性」(アイデンティティ)に基づいた体系を重視するあまり、ここからずれる差異(非同一性)を無視し、時には抑圧して成立した。それはあたかも無意識の中に複数の人格が抑圧され、統合されたものが「私」として存在するようなものである。だからそれを一概に否定することはできない。

だが、近代にはこうした合理性を追求する姿勢が徹底化され、すべてを公正で効率的と見える基準やルールで覆い尽くそうとする動きが加速し始めた。そうした文明化の果てに、人間はふたたびファシズムによるユダヤ人迫害・虐殺といった野蛮状態へと落ち込んだのである。

それゆえ、理性がこれを防ぐためには、自己の認識の限界を知った上で、反証してくる他者(自分と価値を共有しない者)との対話によって自らの正しさを解明し続ける永遠の啓蒙主義的態度が不可欠である。それは本書の言葉でいえば、啓蒙とは他人に対する啓蒙から、自分の理性に対する啓蒙に向かわざるを得ない。これが「啓蒙の弁証法」なのである。

具体的に言えば、近代科学はまず自ら仮説を立て、次にこれを実践(実験)によって証明する。そうして反証してくるデータを基に、仮説を修正して理論を打ち立てる。こうして科学は徐々に不可知な領域への認識を拡張していくことができるのである。こうした科学的な態度こそ啓蒙の弁証法の例証である。

何かを認識するためには異質な要素、いわば他者が必要であるという考えは、極めて実践的(倫理的)な動機がうかがえる。彼の哲学が西洋の同一性に閉じ込められた哲学の伝統を超えられたのは、おそらく「アウシュヴィッツ以後」を自らの哲学の原点にしたからである。では「ヒロシマ・ナガサキ以後」を原点にした日本の哲学が生まれないのは何故か。平和憲法を守るべきか否かを考える意味でも、原爆以後人はいかに哲学することができるのかを考えるべきではないだろうか。

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 武士道―文明と野蛮の逆説

投稿者: akizukiseijin : 5月 28, 2008

士道 (岩波文庫)

武士道 (岩波文庫)

日本が日露戦争に勝利した後、明治39年(1906年)に岡倉天心は、英語で出版された最後の著作『茶の本』の中で、次のように述べている。

「・・・一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百 の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見做していた ものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国 と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。・・・もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」(『茶の本』岩波文庫)

実は新渡戸稲造がこれに先立つこと明治32年(1899年)にやはり英文で『武士道―日本の魂』を著している。その「武士道」とは批判されている当の武士道よりも、むしろ岡倉の立場に遥かに近いと言える。そこで疑われているのは文明とはすなわち優れたものであるとする自明性である。西欧がアジアやイスラム諸国に行なっていることは文明の名の下に正当化しうるのであろうかと彼らは考えた。本書の中でも新渡戸は武士道の根本は平和主義であると言い切る。彼らの独自なポジションは日本の「外」から、一方で迫り来る西欧文明と、他方で良き封建的遺産を切り捨てて文明化しようとする日本とを同時に批判できることにあった。

そして何より新渡戸の視点が重要なのは、イギリスの封建制と日本の封建性との比較を通して、アジアの中で独自ともいえる日本文化を世界史の中に位置づけ、西洋との類似性を際立たせたことにある。つまり、それは中国やイスラムなどの古代文明の中心地から海を隔てた「亜周辺」(ウィットフォーゲル)と呼ばれる地域でのみ花開く文化・諸制度である。例えば、民主主義や資本主義はここからしか生まれ得ない。この1899年前後を境として、日本は世界の一等国としてナショナリズムを強めてゆく。かくして彼の世界市民的視点は見失われ、今や単なる保守主義の思想に祭り上げられてしまったのである。

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ウィリアム・モリス『理想の書物』―芸術は誰のためにあるか

投稿者: akizukiseijin : 5月 28, 2008

エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で叙述したように、一九世紀末のヴィクトリア朝のブルジョア階級の台頭の裏で、労働者階級の生活は困窮化していた。貧しさから路上に投げ出される人の群れは日ごとその数を増していった。貧窮院は何の助けにもならず、むしろ強制的な労働を課されることを恐れて人々は収容されること自体を嫌った。チャーチスト運動以後やや下火になりつつあったイギリスの労働運動も今や再び盛り上がりを見せ始めていた。

こうした時代背景の中で、先行世代のワーズワースやシェリーといったロマン主義左派の流れを引く詩人・美術工芸家ウィリアム・モリスは、美術批評家のジョン・ラスキンらとともに、アーツ・アンド・クラフツ運動と呼ばれるモダンデザインの先駆けともなる新たな芸術運動を始める。かねてからマルクスの思想に深く傾倒していたモリスは自らの運動が、議会による改革を目指すフェビアン協会の社会民主主義路線とも一線を画し、J・S・ミル以来のイギリスのリベラリズム(自由主義)の伝統に依拠した独自な社会運動たることを同時に目指した。

それは複数の芸術家・経営者が個人の自発的な「契約」によって自前の小規模な会社をつくり真に働く喜びのある社会を取り戻そうとするものである。殊に彼らが理想とするのは高い技術に支えられた中世の職人たちのギルドであり、工場制手工業(マニュファクチャ)に基づく工房での協業と分業による集団制作の復活であった。それは近代以降の諸ジャンルの芸術家が社会から孤立してひとり黙々と創作することへの批判であり、同時に、工場で資本家の下で多量の労働者が集められ、機械の下に服従して生産が行われる産業形態に対する痛烈な批判でもあった。

しかし、アメリカの経済学者ヴェブレンが指摘したように、モリスらの労働者のための芸術による社会改良運動は極めて皮肉な結果を生んだ。つまり、モリスをはじめとするアーツ・アンド・クラフツのメンバーによる優れた美術工芸品の数々は一つ一つ手仕事で作られていたため希少でしかも高価であった。このため受注する仕事は教会建築の修復を除けば、そのほとんどは当時台頭しはじめていた生産に携わらなくても何不自由なく暮らしていける「有閑階級」(Leisure Class)と呼ばれる顧客によって賄われていたのである。

特に「有閑階級」と呼ばれる人々は廉価な機械製品に対して高価な手仕事の家具などを買うことが他人への見せびらかしのために大いに必要であったからである。これはイギリスにおいてすで大衆消費社会の萌芽が現れ始めていたことを意味する。かくしてモリスらの活動は、一方で、他人志向的な有閑階級のあくなき消費、他方で困窮しきった労働階級の過激化という社会の分裂と矛盾の間で引き裂かれてしまうのだった。

庶民から離れた「高級な芸術」に対して「民衆の芸術」の素晴らしさを生涯説き続けていたモリスにとってこの事実は苛酷であった。芸術家としての名声は高まる一方でも、実際に困窮する人々を救うことができない無力さを誰よりも感じていたのは彼自身であっただろう。こうした中で彼は晩年ケルムスコット・プレスと呼ばれる印刷所で中世の製本の再現の仕事にのめり込んでいく。芸術は社会とのかかわりのなかでいかにあるべきか。本書は彼がそのとき何を思い、そして何故彼の芸術が今日のわれわれをも魅了し続けるかの秘密をそっと示してくれるだろう。

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宮部みゆき『蒲生邸事件』―「まがい物の神」から「当たり前の人間」へ

投稿者: akizukiseijin : 4月 24, 2008

蒲生邸事件 (文春文庫)

蒲生邸事件 (文春文庫)

今日は朝から雨が降り続いている。それでももう春だと感じさせる日も多くなってきたこの頃である。さて、今からちょうど七二年前、しんしんと雪が降り積もる一九三六年二月二十六日の帝都・東京では、日本が太平洋戦争へ転げ落ちる転換点ともなった陸軍の青年将校らによるクーデター・暗殺事件、いわゆる「二・二六事件」が始まろうとしていた。この小説の中心舞台はその現場からほど近い退役した陸軍大将・蒲生憲之の邸宅である。ここで、宮部は歴史的想像力を駆使しながら、タイムスリップした予備校受験生・尾崎孝史を登場させ、彼の肉眼から歴史をたんに結果から見るのではない彼女自身のユニークな視点をそっとさしだしてみせる。

一九九四年二月二五日、平凡な一八歳の青年である孝史は、親の期待を背負いながらも受験に失敗し、そのため予備校の試験を受けるべく再び上京する。宿泊先は、かつてと同じくホテルの墓場ともいうべき平河町一丁目のおんぼろホテル。そこはかつて旧蒲生邸の跡地であった。そのホテルの壁にはレンガ造りの洋館とその主人であった元陸軍大将・蒲生憲之の写真が飾られてあった。わきには、五八年前の明けがたに起こった二・二六事件と重なるようにして蒲生憲之が自決し、残された遺書には軍部への批判と未来の日本が辿る悲劇が先見の明をもって描かれていたとする説明書きが添えられていた。

だが、その夜、ホテルは原因不明の火事に見舞われる。もうだめかと思われた瞬間、孝史の前に現れたのは、その日同じホテルの客として宿泊していた謎めいた男「平田次郎」であった。燃え盛る火の手から逃れるため、彼らは異次元を抜け、帝都・東京にある蒲生邸の庭に降り立つ。そう平田は、時間旅行の特殊能力によって現代から二・二六事件前夜の旧蒲生邸へ孝史を救いだしたのだった。降りしきる雪の中を銃をもった兵士がザックザックと行進してゆく。やがて孝史はただならぬ事態に自分が巻き込まれつつあることに気づき始めるのだった…。

この四日間の陸軍将校の決起とその鎮圧の歴史的ドラマを背景として、異能力者であるがゆえの平田とその叔母の苦悩、蒲生邸での一族の確執、そこで働く女中・向田ふきへの孝史の淡い恋、それらが二六日に自決した蒲生憲之が使用したはずの銃が忽然と部屋から消えた出来事をきっかけにして微妙に交錯していく。歴史を変えることに絶望する平田、そして愛するふきの最後を知りその運命から彼女を救おうとする孝史、そして軍部独裁による日本の無残な敗戦の事実をあらかじめ父から知らされて生きる長男・蒲生貴之。

平田は自らをこう呼ぶ―オレは「まがい物の神」だと。なぜなら、時間旅行者は個々の歴史的事実を変え得たとしても、全体の歴史の流れは変えることはできない。なにより、あらかじめ結果を知った立場から、同時代の人々の愚かな生き方を批判する自分はたんに「抜け駆け」をしているにすぎないのだから。

ではなぜ平田はここに来たのか。安穏とした現代からこの危険極まりない戦時下へ。かつてあった日本人のぬくもりを求めてか。いや違う。平田はある一つの答えに辿りついたのだ。すなわち、この時代で生き続けること。歴史を高みから見おろすまがい物の神の立場ではなく、同時代の当り前の人間として手探りでこの時代を生き抜くこと。その時、歴史を知るがゆえに変わらないと知りつつ努力し批判もする叔母や蒲生憲之の態度を許し、同じく高みから歴史を見ることを余儀なくされた自分自身をも許せるようになるかもしれないと平田は孝史に語る。

かくして、まがい物の神は、当たり前の人間となり、そして「許し」に辿りつく。この宮部の視点こそ彼女自身の作品を照らすカギともいえる歴史の光学である。「まがい物の神」→「当たり前の人間」→「許し」というこの移動は、新約聖書におけるイエス・キリストの物語を想起させる。イエスは神のひとりごとして、地上に降り立ち、人々と苦しみを分かち、その愚かさを身に受ける。最後には十字架にかけられながらも、すべてをお許しになる。

後世のわれわれは歴史を結果から断罪する。しかしその時われわれもまた「まがい物の神」なのだ。そこで自分の傲慢さに恥じ入り、過去の歴史をもう一度「当たり前の人間」として生きてみよう。神としてではなく、一人の人間として同時代を生きてみてはじめて、その時代に生きた人たちの様々な善行や過ちも含めて、きっと許せるときが来るのではないか。何よりも自分自身に対してもきっと許せるときが来るだろう。歴史とは、どこまでも当たり前の人間として生きるほかない、そういうものだから。不思議なことに、そこにわれわれの未来への希望もまた生まれ得るのだ。

〝時は過ぎ去るとき、その痕跡を残す〟―――タルコフスキー 『サクリファイス』

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『大英帝国衰亡史』(中西輝政)を読む―「貴族の精神」と民主主義

投稿者: akizukiseijin : 9月 26, 2007

大英帝国衰亡史

大英帝国衰亡史

1990年代に入って、グローバリゼーションが叫ばれるようになると、国家や国境にはもはや意味がなくなるという意見が人々の口にのぼり始めた。ただ、市場とは本来グローバルなものである。それを拒んでいたのは19世紀以来の国民国家の存在であった。2001年の9.11同時多発テロ以降、テロとの戦争という名目で、ふたたび国家を前面に押し出した西欧とイスラム文明の対立の構図が唱えられている。そこで、我々は国家の衰亡を文明史の中に置いてもう一度再検討してみる必要がある。

中西は、歴史家の立場から、国家の衰亡の要因を「外」ではなく「内」に求める。すなわち、「偉大な国家を滅ぼすものは、けっして外面的な要因ではない。それは何よりも人間の心のなか、そしてその反映たる社会の風潮によって滅びるのである」(ジョバンニ・ボテロ)という視点を採る。言い換えれば、それは物質的な要因ではなく、精神的な要因によって滅ぶというわけである。

特に、大英帝国を伝統的に支えたかつての「貴族階級」(aristocracy)の衰退・消滅が最大の要因であると見る。彼らが帯びる「精神の貴族」とは、一言で言えば、「より遠い未来を見据えて、国家のためには、あえて「異端」に耐えつつ、一貫して強力に代替政策を訴えつづけるというエリートとしての精神的伝統」である。その際、彼が強調するのは、知のマニュファクチュアとでも呼べる政治家や知識人の親子・師弟間での語りえない経験や知恵の継承の重要性である。

ではこうしたイギリスの帝国を支える「貴族」は、一体なぜ衰退してしまったのだろうか。中西は歴史家として慎重な立場から明言を避けているが、おそらく次の二点の影響が大きいと思われる。

1.第1次世界大戦による50歳以下の貴族の男子の約20%の戦死

2.19世紀後半から20世紀初頭にかけての大衆社会の到来

第1の要因に加えて、第2の要因によって階級社会イギリスにおけるエリート階層への不満は増大する。その結果、生まれたのが政治のポピュリズムである。国民の間ではかつてのような貴族への尊敬が薄れ、むしろ、ボーア戦争賛否で分裂する世論を前に、新しい大衆向けパフォーマンスによってアピールしたロイド・ジョージやチャーチルのような20世紀型政治家が首相となる。

だが、皮肉にもこのチャーチルこそが大英帝国を終わらせたのである。つまり勝利のためなら財政が破綻することも厭わない無謀な戦争遂行によってイギリスは戦後債務超過に陥り、アメリカに覇権を譲り渡すことを余儀なくされる。こうして見るとまさしく大英帝国の衰亡の歴史は、貴族のバランス感覚の喪失と期を一にしていたかのようである。

このように本書の意義は、国家の盛衰における、とりわけイギリスにおける、伝統的な指導階級・エリートの不可欠な役割を歴史的に浮かび上がらせたことにある。そしてまた、この自国の歴史や伝統を重んじる態度が、社会のバランスをとるための錘(おもり)になる反面、いざ改革が必要なときに既得権益を守る抵抗勢力にもなるという歴史のジレンマを正しく指摘し得たことにあると言えるだろう。

しかし、あえて私は氏の言説が語られる「ポジション」に疑問を呈したい。なぜなら、たんに国家の指導階級における貴族的なエートスを称揚するだけなら、それは通俗的な保守主義に堕してしまうのではないだろうか。たとえ同じことを主張したとしても、ポジションを移動することで言説はその意味を大きく変える。つまり、保守やエリート主義の立場から貴族やその精神を称揚するのではなく、むしろ民主主義社会のバランサー(調節者)としての「貴族」を見出すべきだったのだ。

だからそれは本来機能さえ同じであれば貴族であってもなくても構わない。もともとイギリスに比べて階級差が弱く、表面上は平等を建前としている日本の文脈ではかえってそのほうが好ましくもあるだろう。たとえば戦後民主主義の代表である丸山真男は、こうした絶妙なバランス感覚によって、明治の非政治的な自発的結社である明六社の中にこの貴族的機能を果たす「中間権力」の可能性を見出している。

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頭脳集団の形成

投稿者: akizukiseijin : 9月 20, 2007

ドイツ参謀本部―その栄光と終焉

ドイツ参謀本部―その栄光と終焉

渡辺昇一著『ドイツ参謀本部』は、ドイツの軍事史という特異なテーマを用いて、近代に生まれた巨大組織とそれを支える頭脳集団の生成と崩壊の過程を見事に描き出している。それはまさに組織は非凡な個人に勝つために生み出された凡人の集団であるとのドラッカーの主張を裏書するかのようであり、同時にまたその崩壊の罠にも十分な目配りがなされている。

ヨーロッパに傭兵から国民皆兵時代の到来を告げたのは紛れもなくフランスの天才ナポレオンであった。しかし、その彼がモルトケ率いるドイツ参謀本部の人材育成と組織力の前にあえなく敗れていく場面は圧巻である。ナポレオンは、国民皆兵という大規模な軍隊の力に気づきながら、その力をコントロールするスタッフを持たなかった。

それに対してドイツ参謀本部は、強大な国民軍を幾つかの師団に分け、それぞれに指揮官と参謀を配し、統制と規律を組織の末端まで浸透させることに成功した。これこそが普仏戦争の勝敗を分けるカギとなったとされる。加えて第一次大戦までのドイツの強さのカギは、軍事もさることながら、鉄血宰相ビスマルクの外交手腕にもあった。自然の要害のないドイツが戦争で勝利するためには二正面での戦いを回避することが戦略上不可欠である。このことを知り抜いていたモルトケ参謀総長は、ビスマルクの巧みな外交を尊重し、利用する。この両輪があいまってこそ歴史上はじめてドイツに統一帝国を誕生させることができた。

しかし、この鉄壁に見えたドイツ参謀本部もやがてほころびを見せ始める。その最大の要因は、ビスマルク亡き後政治的リーダーが輩出しなかった一方で、政治のみならずドイツ陸軍内でも指揮官を差し置いて参謀の力が肥大化していく背景だ。このバランスの喪失は、今日でもなお組織において強いリーダーシップとスタッフ育成のバランスがいかに強い組織の要諦であるかということを示している。

そして単純であるがゆえに忘れられがちだが、軍事参謀であれ企業参謀であれ、参謀と名のつく限りは「無名性」を旨としなければならない。なぜなら注目し研究され尽くした時、参謀は参謀でなくなるからである。人間や組織にとって花盛りの季節こそ、終わりが忍び寄っているといえるのかもしれない。組織や人は成功の後でこそ自らを改革することを運命づけられているかのようである。本書はこうした歴史の教訓を印したモニュメントとしてこれからも紐解かれていくだろう。

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