投稿者: akizukiseijin : 9月 30, 2009

私たちは今、傷ついた時代の肖像を前にして
それぞれが呻吟し、ため息をついている
走り去った時代を懐かしむ余裕すらなく、
ただあわただしく日々の暮らしに押し流されていく
私たちは互いに視線を交わすこともなく
同じ場所にたたずむ、終電を待つ乗客のようだ
反対のホームで電車を待つ無数の人々は、
何処か遠い世界の顔を失った幻影のように見える
私たちには真昼の光は眩しすぎる、だが夜の街に
光がともる時、人間の本当の孤独が始まる
震えている夜の空気の中を、一人家路へと急ぐ
誰も待つ人はいない、ただ老いと死だけが待つ部屋
私たちの心の動揺を見透かしているように
部屋のカーテンが風に揺られている
自然を否定し、神を否定し、人間を否定した時代
私たちは結局ただ孤独な点のようになった
たとえ次の瞬間に消え去っても、誰も気づくことはないだろう
バビロンの塔の悲劇のように
私たちはもはや互いに言葉が通じず
悲しみも、喜びも、愛も私たちの破れた隙間からこぼれていく
時代の観覧車の乗客のように
私たちは死ぬまで孤独な遊戯を繰り返す
夜の静けさの中で、白い鳥は啼く、ビルの谷間の花、
羽根を休めながら、私たちは神を待ち望む
(2009.9.30 秋月誠仁)
カテゴリー: 詩 | コメントする »
投稿者: akizukiseijin : 9月 29, 2009
カテゴリー: 音楽 | コメントする »
投稿者: akizukiseijin : 9月 23, 2009
自分だけが幸せになろうとすることは虚しい。自分の幸せだけでなく、つねに他人の幸せを願い、行動すること。ここにこそ真の幸福は見出される。なぜならば真の幸福とは、他人と喜びを分かち合うことに存するからなのだ。
カテゴリー: アフォリズム | 2件のコメント »
投稿者: akizukiseijin : 9月 23, 2009
近代人の耳にはいかに異様に聞こえようとも、幸福は一般に奉仕することにあるのだ、享楽することにあるのではない。一度、真剣にこのことを試みてみるがよい。そうすれば、すぐ自分で納得がゆくであろう。納得ができた上で、奉仕する覚悟がきまれば、おまえは、おまえの人生の重要な一歩を踏みきったことになるのだ。―ヒルティ 「人間をそだてる芸術」 (『ヒルティ著作集第六巻』)
カテゴリー: アフォリズム | コメントする »
投稿者: akizukiseijin : 9月 16, 2009

僕は、僕の内部からひとりでに出てこようとするものだけを、生きてみようとしたにすぎない。それがなぜ、あれほど難しかったのだろうか。―「デミアン」―
すべての人間の生活は、自分自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である、どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている・・・われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。―「デミアン」―
彼は、恋をすることによって同時に自分自身を見いだしたのであった。しかし、大抵の人々は、恋をすることで自分自身を失ってしまうのである。―「デミアン」―
世の中に実に美しいものが沢山あることを思うと自分は死ねなかった。だから君も死ぬには美しすぎるものが、人生には多々あることを発見するようにしなさい。
救いの道は右にも左にも通じていない。それは自分自身の心に通じる道である。そこにのみ神があり、そこにのみ平和がある。―「放浪」―
信仰と懐疑とは互いに相応ずる。それは互いに補(おぎな)い合う。懐疑のないところに真の信仰はない。―「クリストフ・シュレンプフの追悼」―
愛されるというのは幸福ではない。でも、愛すること、これは幸福です!―「クラインとワーグナー」―
–ヘルマン・ヘッセ–
Hermann Hesse (ヘルマン・ヘッセ)ドイツの作家。南西ドイツの静かな田舎町に生まれた。その85年の悩み多き生涯の中で、おびただしい数の作品を残したが、一貫して「内面への道」を追求しつづけた。作品として『シッダールタ』『車輪の下』『デミアン』『荒野の狼』『ナルチスとゴルトムント』など。時代や名前は違ってもそこには常に「一人の主人公」しかいない。人生の中で出会う人物・出来事、それを通して、いかなる変化が生じたか。「いかにして私自身に到達することができたか、いかにしてより深い自己を発見しうるか。」こうした問いに取り組みつづけた魂の記録として、時代を超えて、静かに読みつがれる作家である(1877-1962)
カテゴリー: アフォリズム | コメントする »
投稿者: akizukiseijin : 9月 2, 2009
カテゴリー: 音楽 | コメントする »
投稿者: akizukiseijin : 9月 2, 2009

遥かなる架空の都市に
欲望の翼をもった人々が
天空を飛翔していた
女は女を愛し、男は男を愛した
老人は谷底に投げ入れられ、
幼児は生まれてすぐ絞殺された
いにしえのイスラエルの物語の如く
この都市の虚栄は、神の御座にまで届いた
神は使者/死者を遣わし、彼らが一体どんな
生活をしているのか確かめさせた
すると、見慣れぬ装いを纏った二、三の使者を群衆は
取り囲み、処刑してしまった。
神はいまやこの都市の虚栄が真実であったことを知り、
この地上に被造物を生み出したことを深く後悔された。
人は歩くことをやめ、天から地上を支配した
そして、いつしか神そのものになれるのではないか
と錯覚するようにさえなった
その時だった
天空から真紅の炎の火柱が、地上に突き刺ささった
人びとの欲望の翼は焼けただれ、次々に地上へ失墜していった
遠い記憶の中にだけある故郷の言葉をたよりに
人は地上にふたたび文明を築くだろう
だがその時欲望の翼の痕跡もまた背中に
はっきりと浮かび上がるだろう
もはや天空を飛翔することはなくとも、
この地上から離れることを夢見て
憐れな種族、欲望の翼をもった、
かつて天空を支配した種族の末裔よ
(2009.9.3)
カテゴリー: 詩 | コメントする »